■北鎌尾根@槍ヶ岳(北アルプス)2012年8月31日〜9月2日 No.690 とっちゃん、隊長、うさぎ | ページ1 | ページ2 | ページ3 | ページ4 | ページ5 | 下山 高所と疲労で少し高山病の症状がでてきたが、少し頭痛がするていどだった。夜中に2度ほど目が覚めたが4時半までぐっすりと寝ることができた。小雨が時折、テントをうっているが、比較的風も穏やかで大きな天気の崩れはなさそうだ。雨に濡れたテントの撤収はいやなものだが、要領よく撤収しパッキングを終えた。 晴れていればもう一度山頂から鎌尾根を眺めてみようと思ったが、ガスで展望はまったくなし。今日は下山だけなので、もう少し余韻に浸りながら槍を楽しみたかった叶わず。下山のロングルートを思うと気が重たくなるが、歩かないと帰れない。しかし下山なので気は楽だ。 ガスの中、ノーマルルートで下山を開始した。小粒の雨がレインウェアをぽつぽつと敲くものの、少し風が出始め空が明るくなってきている。ガスの切れ間から槍ヶ岳と青空がのぞいたが一瞬で消えてしまった。身体がぬくもり始めたころに、殺生ヒュッテ横を通過し播ヘ窟を見て下山を続けた。相変わらずガスで槍は見えないが、天狗原分岐あたりまで来ると視界が開けてきた。 沢のほとりで小休止を入れてレイヤリングで体温調節をした。とっちゃんが食料として持参した、梅干し、柿の葉寿司、塩コンブ、こんにゃくゼリーが口に合った。疲れた体は、味の濃いものは受け付けず、酸っぱいものや、塩分といった、単調な味のものを受け入れてくれた。高所での食事は工夫が必要だ。 水俣乗越、ババ平、槍沢ロッジと順調に通過しやっと横尾に到着。高度が下がり、お昼近くになってきたので、お腹がすいてきた。山荘でラーメンを注文し昼食とした。先ほどの槍沢ロッジは1000円だったが、横尾まで来ると値段が700円に下がった。車での物資運搬が可能だからだろう。スープはシンプルなしょうゆ味で、麺もしっかりとしていて、おいしかった。 さてここから約11キロの林道歩きが待っている。初日が10時間、二日目は岩稜を13時間、そして三日目がここまでに5時間歩いている。特に二日目のアップダウンの激しい岩稜登攀がかなり足腰にきいていて、疲労は隠せない。早く帰りたいが、ゆっくりとしか歩けない。といっても、ほぼコースタイムで上高地まで帰ることができた。明神で予約しておいたタクシーに待ったなしで乗り込み、平湯アカンダナ駐車場に戻った。 【北鎌尾根について】 北鎌尾根は加藤文太郎の終焉の地になったが、遭難から捜索の様子は、「新編・単独行者」(山と渓谷社)に詳しい。加藤は昭和11年12月29日、吉田が28日神戸を出発した。二人は乗鞍岳肩の小屋で合流した。31日は平湯槍見温泉で宿泊。1月1日午後1時、槍平小屋午後7時槍の肩小屋に入る。1月2日、槍ヶ岳山頂往復、3日午後、加藤、吉田北鎌へ出発し消息を絶った。 風雪のビバーク 松濤 明 井上サン サイゴマデ、タタカウモイノチ、友ノ辺ニ スツルモイチ、共ニユク(松ナミ) 父上、母上、私ハ不幸でした、おゆるしください 竹越サン 御友情ヲカンシャ、 有元 二人の遺体は夏、千丈沢の四の沢出合で発見され、手帳に遺書が書かれていた。この手帳は現在、大町登山博物館に所蔵されているようだ。 【参考文献】 |
2012年9月3日 Copyright (C) 2012 k.kanamaru. All Rights Reserved. home |