2011年月4日29日30日 孫太尾根、茶屋川、藤原岳(鈴鹿) |
■藤原岳(鈴鹿)2011年4月29日30日 No.602 じんじんさん、隊長、うさぎ | 4月29日の1 |4月29日の2 | 4月30日の1 | 4月30日の2 | 蛇谷 稜線の蛇谷分岐の道標を見て谷への下降を開始。道標はあるが文後や目印はない。地形図を見ると標高差100mくらいで谷に降り立つようだ。急斜面に足を取られながら滑るように下った。ものの10分で谷に降り立つ。 蛇谷は落葉樹林の明るい谷で、それほど荒れてはいなかったが、決まったルートはなく、もちろん目印などはない。ゴルジュなど深く切れ込んだ所はなく歩きやすいが、何度も徒渉を繰り返しながら谷を下っていった。 茨川銀山 蛇谷は昔、茨川銀山のあったところで今も、谷のあちこちにスラグが転がっている。スラグは鉱石を溶融し、金属を取り出した残りかすのようなもので、高山があったことを物語っている。人の営みの痕跡に歴史を感じたので、「鈴鹿の山と谷2」で蛇谷を調べてみると、10行ほどの記述があった。引用してみる。 「茨川高山のあったところで、最盛期には石垣が類々と築かれ、遠くからでも活気が伝わってきたという。茨川に茶屋ができたのもおそらく銀山によるものと見られるが、衰退した後は旅人や商人が利用したがもはや往年のものではなかったという。蛇谷の名称は鉱山に関連した名称で、長蛇のような谷という意味も含まれるようだが、本質は金属の冷たい光沢が蛇の鱗をあらわしているといわれている。鈴鹿山脈は古代から金属に縁の深い山地であるが、治田から茨川のあたりは特に規模の大きな採鉱がなされた記録がある。蛇谷は遡行の対象としては価値は低いが、なんといっても歴史的な意味は深い」 また、「近江鈴鹿の鉱山の歴史」では、蛇谷鉱山について8ページを割いている。鉱山に何する文献があまりなく、江戸初期と時代も古いので実態は明らかではないようだ。もっと古い文献「江源武鑑(こうげんぶかん)近江の戦国大名・ 六角氏に関する日次記形式の歴史書。」では、「江東君カ畠ヨリ白銀ヲ掘出ス。今日坂田兵内左衛門ヨリ言上ス」茨川での銀の発見を伝えたものを推測される。一方、茨川村の筒井氏の著書によると、「むかし、蛇谷に銀山があって当時日本の銀生産の七割も出したぐらいに栄え、家もかなりあって蛇谷千軒と呼ばれた」 確かに スラグや施設の石積は見かけたが、銀生産の七割とか、蛇谷千軒は疑問に思われる。明治期においても試掘願いが出され、一攫千金を夢見て、鉱業権者も変わっていったようだが、良い結果は出なかったようだ。 地質図を見ると、茨川蛇谷鉱山と記されていて、二畳紀から三畳紀の泥岩やチャートの地層に玄武岩質溶岩が貫入してきているところだ。年代的には2億年くらい前の地層だろう。チャートや泥岩は蛇谷の河原にいくらでも転がっている。 イワウチワ ちょっとたゴルジュがあり、峡谷らしさが感じられるところもあり、岸壁をびっしりとイワウチワの花で飾られていた。 茶屋川 稜線から谷に降り立ち、茶屋川に合流するまで、1時間ほどの行程だったが、美しい渓流や花、歴史を楽しむことができた。 さて、茶屋川だが、訪れるのは10年ぶりくらいだろうか。茨川を起点にして、藤原岳の西尾根、蛇谷の左岸尾根を使って、ぐるっと周回したことがあった。蛇谷分岐から茨川までは距離的には1キロほどだ。茨川までは林道が伸びていて来るまで入ることができる。茨川については、鈴鹿樹林の回廊のHPが詳しいのでそちらに譲ることにしよう。 茶屋川は本流だけあって水量のある谷だ。蛇谷から先は、徒渉は大丈夫だろうと思っていたが、昨日の降雨で水量が増したようで、徒渉に何度か苦労した。石を投げ入れてなんとかクリアしたが、兎が一度はまった。 三筋滝 しばらく谷を進んでいくと正面に天狗岩が見えてくる。いつもは天狗岩から河原を見下ろしていたが、河原から見上げる天狗岩もなかなかいい眺めだ。さて藤原岳西尾根を回り込み、善右エ門谷を右手に見送りしばらく進むと、正面の三筋の滝に行く手を阻まれる。 茶屋川での滝らしい滝はこの三筋の滝で、「鈴鹿の山と谷2」では落差15mとある。文字通りなら3条になって流れ落ちていることになるが、目につくのは一番右の1条のみだ。滝見見物を兼ね、ザックをおろし小休止を入れる。滝の岸壁のわさびが白い花をつけていた。 さてこの滝は、右岸の崩壊地から高巻く。固定ロープが垂らしてあるのでそれほど問題ではないだろう。それよりもザックが重いので、ざらついた斜面が滑りやすく注意が必要だ。念のために30mダブルロープを準備したが、うさぎの確保は必要なかった。怖さ知らずでどこでもほいほいと登ってくるので信用はできないが。 一つ目の難所をクリアしひと段落した。 滝の上に出ると谷が浅くなり水量も減ってくる。しかし2カ所ほどの岩床帯があり、いずれも左岸から巻くことになる。 2つ目の岩床帯を右岸から巻いたらこれは失敗だった。ずるずるの急斜面に肝を冷やすことになった。じんじんさんは左岸から巻き楽にクリアしたのだった。 さらに進むと左から土倉谷が降りてくる。ハリマオさんが名付けた亀尾の取り付き点だ。記憶をたぐり寄せると、前回ここに来たのは10年前のことだった。 真の谷 この茶屋川の上流部は真の谷と呼ばれているが,どのあたりからいうのだろうか。土倉谷と合流するあたりだろうか。この合流点を過ぎると伏流となり,小鳥のさえずりが聞こえる静かなゴーロの谷となる。谷には大小のさざれ石がころがり,特有の景観を呈し,鈴鹿らしい渓谷美が感じられる。岩に着いたニリンソウやキクザキイチゲ,ヤマネコノメソウが花を咲かせていた。 野営地 乾いた石灰岩の岩盤の谷を登っていくとやがて白船峠分岐に出る。この辺りからは谷も浅くなり穏やか渓になり,一旦伏流した流れが戻ってくる。10分ほど進むと真の谷の野営地に到着するが,その手前の右岸に適地を見つけテントを張ることにした。時計を見ると16時30分を過ぎていた。いい時間だった。テント設営後,食材をもちよりささやかな夕げとなった。8時間歩いた後の缶ビールは実にうまかった。19時過ぎにはシュラフにもぐりこみ瞼を閉じた。 |
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