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穂高連峰(北アルプス) 2009年9月20-22日 No.507 じんじんさん、隊長
〜横尾本谷遡行と大キレット〜
9月20日
上高地バスターミナル(6:34)〜明神(7:28)〜徳沢(8:12)〜横尾(9:12)〜本谷橋(10:21)〜涸沢谷分岐(10:50)〜横尾本谷大キレット分岐(11:08)〜小滝(12:15)〜カール末端(13:10)〜横尾尾根のコル(15:30)〜稜線天狗原分岐(16:40)〜南岳(17:15)〜南岳小屋野営場(17:25) 累積標高+1600m 歩行距離 19km
9月21日
南岳野営場(6:25)〜長谷川ピーク(7:54)〜飛騨泣き(8:50)〜北穂高岳(10:00)〜最低コル(12:03)〜涸沢岳(13:20)〜穂高山荘野営場(14:00) 累積標高 +-500m 歩行距離 4km
9月22日
穂高岳山荘野営場(6:07)〜涸沢ヒュッテ(7:50)〜横尾(10:10)〜徳沢で昼食(11:10)〜明神(12:03)〜上高地バスターミナル(12:50)〜平湯(13:40)〜自宅(18:25) 累積標高 -1600m 歩行距離 19.5km
*コースタイムは休憩、撮影時間を含みます。バリエーションルートが含まれています。

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落石のリスク 飛騨泣きを過ぎ、信州側に回り込むと悪場は終わる。長谷川ピークも飛騨泣きも難しさはそれほど感じなかったが、足を踏み外したり岩に足を引っかけたりといった単純なミスは許されない。これは自己責任で管理できそうだが、落石はそのときの運にもよるだろう。先行者の距離と位置関係から判断し間隔を開けることで対処はできるが、もう少し先の自分から見えない所の状況はつかめない。いくら注意しても落石は防げない状況だけに、ある程度のリスクは背負わなければならない。しかしそんなことを言っていたら登山はできないわけで、それ以上に得るものがあるから人は果敢に挑戦するのだろう。NHKの金とくをまた引き合いに出すが、北アルプス縦走のエンディングで内多アナウンサーが、人生につまずいたときにはまたこの山に登りたいと締めくくっていた。田部井さんは一歩一歩登れば必ず未来が開けるとも言った。同感だ。


北穂小屋から長谷川ピークと飛騨泣きを俯瞰する

北穂山荘 最後は信州側に回り込み小屋の屋根を目指してひたすら登る。悪場を過ぎた安心感からか、疲れが出てきた。高度計をたびたび見るがなかなか高度が上がっていかない。なんて忠実な高度計なんだ。高度計が3100mを越えたところで北穂高小屋のテラスに躍り出た。テラスで生ビールでも飲みたい気分だが、後半戦が残っているので自重した。テラスのテーブルも満席で賑わっていた。


北穂高小屋

 標高3106mの北穂高岳山頂は小屋のすぐ南側にある。過去に二度ここを訪れていて、今回が3度目となる。この日は天気もよくSWということもあって大変賑わっていた。涸沢をのぞき込むとカラフルなテント群が華やかに広がっている。数えたらいくつあるだろうか。北アルプスでも屈指のテントサイトで、常連もいるだろうが、一度は涸沢でテント泊をしたいとやってきた登山者も多いだろう。我々も穂高岳山荘で張れなければ涸沢に降りるつもりだった。北穂南稜に目を落とすと、北穂を目指して登ってくる登山者が列をなしていた。SWと好天が重なり、記録的な人出になったいるようだった。


涸沢


北穂南稜を登る登山者


北穂南峰


大キレット


稜線上に見える槍ヶ岳


左:奥穂高岳      中央:涸沢岳


涸沢カールパノラマ


笠ヶ岳


涸沢カール

渋滞 さてこれからも気の抜けないコースが続く。このコースは3度目になるが、ハイシーズンに踏み入れたのは初めてだ。コースはよくわかっているつもりだが、問題は登山者による渋滞だ。北穂北峰を降りると「松涛(まつなみ)のコル」と呼ばれるところに降りる。北穂の野営場はこの辺りに設けられている。昼前の時刻なのでテントはほとんどなかった。南峰直下が涸沢分岐点となっている。奥穂へはこの南方を巻いて飛騨側へ降りていく。まずはここの鎖場で渋滞した。登ってくる人と交互通行になるので、渋滞になることはわかるが、それにしても時間がかかりすぎている。難しくない区間だがかなり遅い人がいたのだろうか。その間に滝谷を下るクライマーが5人ほど抜かしていった。


滝谷を降るクライマー

 東北から来たという後続のグループの人たちと話をしながら20分ほど待った。この山域へ入るのは初めてのようで、やはりこの穂高はあこがれだったようだ。皆それぞれ、緊張感と嬉しさを漂わせていた。これを過ぎる滝谷を覗き込みながら飛騨側の斜面を伝って進む。難しいところではないが、転倒やスリップは滑落につながる場所だ。登山道は再び涸沢側に回り込み、ツルムを右手に見ながら高度を下げていくと最低コルに到着する。


飛騨側のトラバース


北穂高岳を振り返る


滝谷を覗き込む


涸沢を覗き込む

ブロッケン現象 さてコルからは涸沢岳への登りが始まる。涸沢槍を左に見てハシゴとクサリを使ってぐいぐいと登っていく。先ほどのキレットと同じくここも、浮石と落石が多いので要注意箇所だ。
  ここでもまた渋滞。それほど長くは停滞しなくてもよかったが、多勢に無勢で、多い方が優先されるようだ。下ってくる3人が途中で長い時間足止めを食らっている。我々のひとかたまりの後続にまたグループが続いているので、このままだと待っている3人が動けなくなる。下のグループに声を掛け、そこで待ってもらうことにした。
 これを登り切るとD沢のコルに出る。ここまで来ると山頂が見えてくる。あと一息だが、相変わらず傾斜はきつい。最後のクサリ場を腕力で登ると三角点に到着する。涸沢岳山頂3110mは少し南へ行ったところだ。山頂は、穂高岳山荘から登ってきた登山者も加わり大変賑わっていた。また、涸沢側でガスが出ているのでブロッケン現象が起こりみんながうれしそうに騒いでいた。


ブロッケン現象、中央の人影は私

「実体は、早い速度で霧の中を迫ってくるように思われるほ急激に、その輪郭を明瞭にした。人の影であった。やや身体を斜めにした姿であった。人の姿が浮かぶと同時に急に周囲が明るくなった。七色の虹の光輪が霧の中の像をその輝かしい光の中におさまった。」小説「槍ヶ岳開山」(新田次郎)の一節である。このシーンは、播ヘ上人が笠ヶ岳の山頂で見たブロッケン現象を記述したものだ。映像はこちらから


穂高岳山荘と奥穂高岳

野営地 ブロッケン現象と展望をしばらく楽しんだ後、白出のコルへ降りる。テントの設置スペースがあるか心配だったが、まだ時間が早いこともあり正規のスペースは残っていた。ふた張り分のスペースを見つけ早速設営した。上部からの落石が心配だが、選択の余地はなかった。とにかくこの野営場は大変狭いので、時間がたつにつれてヘリポートやテラスがテントで埋まりだした。ヘリポートなどは平地でいいが、緊急の時に困るだろう。


テント設営完了、斜面からの落石が怖い

 設営後小屋へ受付に行く。本日の行程を無事終了し、緊張感から解放されお腹がすいた。カレーライスの香りにつられ注文しようと思ったがどうらや売り切れらしい。仕方なく、うどんとビールを注文した。お仕事後のビールは実にうまい。隣の登山客と談笑しながら、小屋で午後の一時を過ごした。午後になりガスが出始めたようで、眼前の奥穂高岳が見え隠れしている。それにしてもコルから山頂へつながる人の列に唖然とする。隣のテントの男性が、数えたら200人以上並んでいるとのこと。登るにしても今は無理と判断し、しばらくテントで休むことにした。4時になる少し列が短くなってきたが、これから出発するとヘッデンをつけての下山が懸念されるので今回は、ピークハントをあきらめることにし、テントで横になった。


ヘリポートにも設営が始まる


奥穂高岳への行列が続く

最終日 目が覚めるとちょうど6時になっていた。テントから外を覗くと乳白色の世界になっていた。少し風も出てきているようだ。明日は天気が崩れるとの予報だ。何とか天気が持ちこたえてくれれば、奥穂、前穂を経由して岳沢に降りるつもりだ。朝から雨なら、ここまま涸沢に降りるつもりだ。遅い昼食だったのでまだお腹がすいていないが、温かい野菜スープでも作り暖まることにした。時計を見ると19時30分を過ぎていたが、穂高岳山荘からは、夕食のローテーションの知らせるアナウンスが風に乗って聞こえてきた。シュラフに潜り込むが、高所障害がおきているようでなかなか眠れなかった。
 高山病は、酸素不足により引き起こされる循環機能の低下だ。症状としては、頭痛、手足のむくみ、しびれ、不眠、食欲不振などだが、どれも当てはまっているようだ。
 3時半を過ぎるとテントサイトが騒々しくなってくる。山の朝は3時過ぎから始まるのだ。うつらうつらしながら、食事をするコッヘルの音を聞きているうちに、体が徐々に指導し始める。じんじんさんと6時の出発の約束をしたので、4時半に起き上がりまずは食事の準備をし始めた。風はやむどころか、ぽつぽつとテントをたたく雨の音がしはじめた。このままテントを撤収し下山せよ、ということらしい。パッキングを終えプレートを小屋に返しに行くとちょうど6時になっていた。小屋前のテラスは出発の準備をする登山者でごった返していた。


テラスもテントで埋まる


ザイテングラードの降下

ザイテングラードを降りる。何とか持ちこたえていた曇り空も涸沢につく頃には泣き始めた。雨にもかかわらず多くの登山者が奥穂を目指して登っていった。小屋のテラスで小休止をかねて雨具を着込んだ。雨の日は早く下山をするに限るが、これから先の長い行程が残っている。登山者の多くは、朝からの行程が時間的に重なってくるので、涸沢から本谷橋までの区間でのろのろとなった。のろのろの原因は固まりの先頭が遅いからだと思うが、もう少し後ろを気にしてくれれば、長蛇の列はできないはずだ。グループならリーダーが配慮すべきだろう。本谷橋からは追い抜けるポイントが多くなるので、どんどん追い抜いて横尾までたどり着いた。時間を見ると10時、昼食にはまだ少し早いのでとりあえず徳沢まで行くことにした。


涸沢野営場

徳沢 徳沢では昼食休憩で30分ほど滞在した。登りと下りの登山者が滞り、相変わらず混雑していた。昼食はインスタントラーメンで簡単に済ませた。そして最後の行程を1時間半で消化し上高地バスターミナルには13時前に到着した。バスは臨時便を随時出しているようなので、15分待ちで2台目のバスに乗ることができた。


徳沢にて昼食休憩

渋滞回避 帰路の高速道路だが、SWの最中であり、渋滞が当然予想される。案の定、飛騨清見で渋滞気味となり、その先はいつものように荘川まで5キロ、白鳥まで16キロの渋滞となっていた。飛騨清見で降りて白鳥まで国道158号線を走った。これが以外と快適で、信号もほとんどなく快調に走ることができた。白鳥からは快調に東海北陸道を走り、一宮ジャンクションの渋滞を避けるために木曽川から22号線に降りて名古屋高速につないだ。その後は快調に走り湾岸川越ICで国道23号線に降りた。

 

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