2022年5月24日 No.1444

堂倉山・マブシ嶺(大台ヶ原)

シロサコ〜マブシ嶺

尾鷲道は稜線直下の西側を高低差を抑えてうまく作られているので歩き易い。地倉岳付近は尾根が痩せてきてシロヤシオやシャクナゲが多い。花の時期だが今年は、ほとんど花をつけていない。鈴鹿のアカヤシオ、シロヤシオもそうだったが、ツツジ科については裏年に当たるのかもしれない。

アリの木峠はどこ?

武四郎の絵図を見ると「アララキ通」とある。アリの木とアララギは同じとみていいか。位置的に見ると白サコから森林鉄道の軌道跡のルートなのか。アララ木は針葉樹のイチイ。白サコと重なる。絵地図のシラカケは堂倉の北西のコルあたりか。
地倉山

マブシ嶺

国土地理院の「点の記」を閲覧すると点名が「雷峠」になっている。点名と山名が一致しないのはしばしばあることだ。しかし、先ほどの地倉山の下の雷峠と混同しそうだ。昭文社の地図には「コブシ嶺」と書かれているが、三重県の山では「マブシ嶺」とした。


松浦武四郎は乙酉紀行(1885年)で、 「此脈、本小屋嶺、槙塚、白欠、ありの木嶺、まぶし岳、中岳より竜辻に至る・・・・是を南大台と云。」と記しているので、マブシ嶺とした。埋標は明治26年なので、武四郎がこの地にやってきた8年後ということだ。東の川の上北山村出口から三重県側の木津へ抜けているので、生活道路があったと思われる。 地理院の測量順路もそのように記してあった。
マブシ嶺 1411m

帰路

探鳥に関しては往路はほとんど収穫なし。帰りに挽回したいがどうなるか?往路のコルリのポイントまで戻ると、また元気に鳴いていた。今度こそは撮りたいなと粘ったが姿を確認できなかった。キビタキは姿を捕らえたが撮影に到らず。休憩しているとヒガラが出てきて撮らせてくれた


尾鷲辻まで戻る途中で、アカゲラが出て来てくれた。シジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラなどカラ類が騒ぎだすとチャンスが来ることが多い。アオゲラ、アカゲラが鳴き出し、近くの木に止まってくれた。
ヒガラ ミズナラで餌を探している
ヤマツツジの花に来たクロアゲハ 
クロアゲハ
オオルリ
コルリを狙っているとシジュウカラがやってきた

確認できた野鳥

コルリ、オオルリ、キビタキ、カケス、アオゲラ、アカゲラ、コゲラ、ヒガラ、シジュウカラ、ヤマガラ、コマドリ、ウグイス、五十開けあ、ミソサザイ、カラス、メボソムシクイ、ツツドリなど。シューリの確認はできなかった。次回の宿題だ。
松浦武四郎大台紀行集(1887年)5月13日 本年はシューリを聞まほしと思ひしに、少しも鳴かず。一同の云に時節早きと云。また人多く山中に入込、自然火気多き故ならんかとも云。曉よりしてよく清たる声にてシウイチリーンと鳴鳥有。是恐らくは日光山の慈悲鳥ならざるかと。・・・・
ジュウイチが頭に浮かんだ。夏鳥で5月中順から鳴き声が聞かれる。ホトトギス、ツツドリ、カッコウの仲間でカッコウ科と鳥。しかし、気になるのは「清たる声」。
日光山志(江戸時代)では慈悲心鳥と書かれる。武四郎もこの本を見ていると思われる。日三霊鳥はウグイス、ジュウイチ、ブッポウソウ)オオルリ、コルリ、コマドリ、ルリビタキに托卵する。いずれも大台で見られる鳥だ。この日はジュウイチは確認できなかった。

乙酉紀行の野鳥は?

松浦武四郎大台紀行集乙酉紀行(1885年)に出てくる野鳥。まずは紀行文の引用する。此は1885年5月18日の紀行文。
未だ夜明けにはと思う頃より、至って清冷なる声にてシイーンと鳴くや、ヒューと答ふ鳥有。何れが雌か雄かのほど知られざれども、世に聞き慣れず。弥、亀、清(道案内人)等の言に此鳥峯中と大台ならで住まずと。其鳥大きさのほど知られざれども、恐らく白頭翁(ヒヨドリ)位にして色黒鼠かと思はると答手、是をシューリと云よし。若是仏法僧ならずや、仏法僧を雄仏法と鳴くや雌僧と鳴とか云えども是とてもたしかに我聞きたりと云うものもなし。其姿我等野山(高野山)にて干せる見たれども、野山に数無鳥のよし。大師の詩に暁頃に鳴哉と詠じ玉ひしかば、もし是にては無かと思ふ。シューリ鳴始めてより1時間斗にして東雲の空となりたり。亀、飯を炊き汁を作る。弥、山葵の葉を取り来りてしるの実とす。清蔵○木の芽をとり来るに未だ七八分なり。谷間には雪少々有れども夜前大に暖にして夜半より○焚も消て有たり。今日は亀と弥は此辺の谷々を見に行。我は清造を連て滝に到らんと八時頃おり出立。倒れ木を潜りまたぎ等して四五丁・・・・
赤字の観察記録から判断すると「トラツグミ」ではないだろうか。さえずりは「ヒィー、ヒィー」「ヒョー、ヒョー」。主に夜間に鳴くが、雨天や曇っている時には日中でも鳴く。