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■薬師岳、北ノ俣岳 No.172 隊長
■2002年9月13日
自宅(20:30)-関ヶ原IC(名神)-立山(北陸自動車道)-有峰林道ゲート前P(1:30)
■2002年9月14日
折立P(6:40)-折立登山口(7:00)-三角点(8:45)-太郎平小屋(10:45)-薬師峠テント場(11:00)
テント場(12:15)-薬師平(12:40)-薬師小屋(13:30)-薬師岳山頂(14:20)-テント場(16:10)
■2002年9月15日
テント場(8:30)-太郎平小屋(8:50)-(10:40)北ノ俣岳(11:00)-(12:30)太郎平小屋(13:00)-折立登山口(15:30)-自宅(21:30)

薬師岳
■2002年9月14日
折立P(6:40)-折立登山口(7:00)-三角点(8:45)-太郎平小屋(10:45)-薬師峠テント場(11:00)
テント場(12:15)-薬師平(12:40)-薬師小屋(13:30)-薬師岳山頂(14:20)-テント場(16:10)
テント設営後、待ちに待った昼食タイム。まずは缶ビール。「バカうま」である。そしてメニューは、棒ラーメンである。味は別として、容量が小さいのが選択理由である。これなら数泊分の食料がザックに入る。味はいまいちだが、乾麺なのでもどすと腰があるのが特徴かな。念のためにと食料は多めだったが、最近は必要最小限にしている。食料に関しては、軽くてコンパクトと美味しさはどうやら反比例するようだ。現在、軽くてコンパクトで美味しいもの。

一息入れて、カメラバック、ザックに雨具と行動食、水、手袋を入れてピークハントに出かける。といっても標高差は700mあるので、鈴鹿の日帰り登山並みである。エリアマップでは、登りが2時間50分となっている。しかしテントをおろしたので、ものすごく体が軽く感じる。岩場では足に力が入りすぎ体がはねる感じだ。到着予定時間は2時間後だ。とにかく荷が極端に軽くなったので、ペースがつかめずにオーバーペースになっている。

薬師平まで40分のところを20分で上がったので、リズムがいい呼吸になるまでペースを少し落とす。小さなカール後には綿毛になったチングルマとイワイチョウが多い。この山の花の特徴はイワイチョウの多さかなとも思ったりする。ガスで眺望はなく、足下の花の終わった植物を確かめながらの登りである。目指すはピークのみ。

薬師平らで緩やかになった登山道も、やがて急な登りになり、これをしのいだところにこじんまりとした薬師小屋がある。石積みの塀で囲まれていて、悪天時にはアオシスのような存在だろう。ガスは全くはれる気配はない。それどころか高度を上げるにつれて、風が強くなり体感温度が下がり始めた。雨具を着用し準備し手袋をつける。その後は急な登りが続く。これを登り切ると用をなさなくなった避難小屋と遭難碑が現れた。遭難碑の前に当時の様子がかかれた銅板があった。好天なら抜群の展望が約束されるが、ガスと強風で長居は無用である。登山道は稜線の岩場であるため、歩きにくく、ぬれた岩で滑らぬように注意が必要だ。約20分で山頂に着いた。

誰もいない。祠の風裏に入ると10分くらいはしのげそうだ。おなかがすいたのであんパンを食べていると、親子らしい男性二人組が上がってきた。眺望は全く望めないので、すぐに山頂をあとにし、16:30にテント場に戻った。出がけは少なかったテントも30張りを数えるほどになっていた。明日の早朝からのアタック組だろう。さて明日の天気は吉と出るか凶とでるか。
夕食は特性の日清焼きソバだ。タマネギ、生卵、削り節、マヨネーズを追加すると、インスタント食品とは思えないくらいに仕上がる。それ以外にはアルファ米のドライカレーを準備するが、あまりうまくない。食後のコーヒーを飲みながら、花の百名山を読みはじめると、突然ヘッドランプが消える。電池切れである。電球なら徐々に暗くなるが、発光ダイオードは突然消えてします。一眼レフカメラと同じ電池を使うので、予備はあるが真っ暗の中ではどこにあるかわからない。
先にも書いたようにこのあたりは太郎兵衝平(ミズバショウ)と北ノ俣岳(ミヤマキンポウゲ、ヨツバシオガマ)が紹介されていた。時期をはずしているので、どの花が多いのかはわからないが、イワイチョウの多さに目を惹いた。この山とは関係がないが、白馬のところを読んでいると、リンネソウが登場する。前後の文から判断して、今年私たちが見たのと同じところだと思い、急に親近感が沸いてきた。花に対する思いは人それぞれだけど、今日はこの花というのがある。ミズバショウのきれいなところは他にもあるだろうが、田中澄江さんにしてみれば、この太郎兵衝平ということになる。花に対する思いの深さはなくなるまで変わることがなかったのだろう。なにしろ90歳くらいまで山に登っていた人だから、すさまじいほどの精神力の持ち主だったに違いない。それでは私は何歳まで登れるのかなと思っているうちに眠くなってきたので消灯にした。雨の音で目を覚ますと深夜の0時だった。風はそれほど強くはないが、雨が断続的に降っているようだ。明日は稜線を黒部五郎方面へ時間の許す限り歩こうと思っていたが、雨がやまなければ、そのまま下山を考えている。雨がしみてきたのか、背中がぞくぞくしだしたので、フリースを着込んで暖まる。
■2002年9月15日
朝方は少し寝込んでしまったようだ。これはいつものことである。6時半に朝食を済ませたものの、雨なので外に出る勇気がない。半ば稜線歩きをあきらめつつ、温かいコーヒーをすする。時間が過ぎてもう8時前になっていた。霧雨だがテントを撤収してとりあえず小屋まで戻り様子を見る。ここから見ると前線の位置が確認できる。なんと白山は晴れている。西から東へ天気は移動するので、やがてここも晴れてくることが予測できた。荷物は小屋のベンチにデポし、サブザックに必要なものを入れていざ出発。皆さんは薬師にアタック中で、このコースは人がほとんど歩いていない。稜線を歩いているとガスが徐々とれはじめ、薬師岳の全貌が見え始め、やがて日に光に照らされて輝きだした。テント組に何人かは小屋から下山していったが、自分は帰らずによかったなと思った。
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