■愛知川(鈴鹿)2009年11月8日 No.515 じんじんさん、りんちゃん、M田くん、つくだにさんと師匠二人、隊長 | ページ1 | ページ2 | 神崎川左岸 ヒロ沢出合で神崎川左岸に渡る。川の水量が少ないので難なく対岸に渡ることができた。前回は3年前にここを歩いているが、登山道は以前と変わらなかった。踏み跡は落ち葉に隠されているので目印テープが頼りになる。このコースは楓類が少なく、シロモジ主体の黄葉になるので、目の覚めるような紅色は少ないが、枯れ葉の上に散らばったシロモジの黄色い葉に秋の深まりが感じられた。30分も歩くとお金明峠分岐に到着した。 お金谷 今回は行程的にかなりゆとりがあるので、お金明神を覗いていくことにした。お金明神は、分岐からお金谷を20分ほど詰めた杉林の中にある。目印テープはお金峠までつけられているので、最後まで追いかけていくとお金峠まで登りついてしまう。下記に紹介した、鈴鹿の山と谷の著者である奥村氏も、杉林の辺りで彷徨したようだが、確かにちょっと覗いただけではそれほど大きくない岩塔は見つからないだろう。私自身も前回訪れたのが数年以上も前のことになり、詳しい記憶は飛んでいた。お金谷には何本かの目につくブナがあり、青空を背景に、周囲のコミネカエデやリョウブやシロヤシオの黄色や紅色の色づきと、灰白色のブナの樹皮とのコントラストが鮮やかだった。 お金明神 今でこそよく知られるようになったお金明神だが、鈴鹿の山と谷の著者である奥村氏は、昭和60年頃から調査を始め、何度目かの山行でやっと行き着いたのは昭和63年のようだ。「・・・付近は峠状になっており尾根の先は岩場となり大杉が森となって茂っている。いかにも神の住む聖なる地の印象がある。しかし、なかなか写真でみた岩塔は見付からなかった。他の場所かもしれないと帰り支度をはじめたが、もう一度調べてみようとしたところ、以外にも近くの大杉が二本倒れている所に「尾金の塔」はあった。側面から見ると天狗面を思わせる奇怪な岩塔である。頂上に登った二人は茶色の蛇が何匹も住んでいたといった。やはり只者でない岩塔である。鉄製の鳥居が三個、岩塔の下に置かれている。・・・」(鈴鹿の山と谷4より引用) 大瀞 お金谷を降りて登山道にもどり少し進むと大瀞にいたる。老朽化のために以前から通行禁止になっていた鉄橋だが、まだ大丈夫だろうと登山者は利用してきた。しかし数年前から傾きだし、危険度が増してきたようで、通行禁止の大きな看板が設置されていた。上の写真の奥の方に見えるのがそれだ。これを回避するために、一旦大瀞に降り、渡渉するように導かれている。最近は土石の流入で川底が浅くなり、渡りやすくなってきている。大瀞を過ぎる高巻いていた登山道は徐々に川に近づき河原に降りやすくなってくる。ちょうど昼になったので河原で昼食休憩にした。 タケ谷出合 昼食場所から20分ほど川を遡るとタケ谷出合い到着した。ここも依然と変わっていないようだ。この辺りは色付き木々が多く、紅葉のビューポイントになっている。もう少し水量があると川面への写りがいいが、なかなか撮影のための好条件は整わない。 根の平峠 さてここで神崎川本流と別れ支流のタケ谷を遡り、根の平峠を目指す。このままもう少し進んで、鈴鹿の上高地といわれる上水晶谷辺りを散策しても良かったが、時間的にも微妙になってきたので、今回はパスした。しかし、タケ谷も大変雰囲気がよく、かさこそと落ち葉を踏んで歩いているうちに根の平峠に到着した。峠周辺は、数年前までは背丈を超す笹で覆われ見通しが悪かったが、今では笹がすっかりなくなり、明るく広々とし雰囲気になっている。水も谷でとれるので、テントサイトとしても適地になっている。さて、峠まで登りつくと後は朝明まだ下るだけなので、少し時間をとって休憩をした。樹間から国見のキノコ岩が見えていた。 標識 さて、峠から朝明までのコースだが、災害により谷が埋まるなど大きな被害を受けていた。これを機会にルートが少し変更されまた、整備されたようで、以前よりも歩きやすくなっている。また、青色のがっちりとした標識が要所に設置された。ブナ清水も以前は、バリエーションルートになったいたが今は、立派な標識に導かれている。コースは伊勢谷の右岸から左岸に変更されていて、「旧千種街道登山口」の案内標識が設置されていた。伊勢谷小屋周辺も晩秋の気配が漂い、短い秋の日が暮れようとしていた。 | ページ1 | ページ2 | |
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